介護ヘルパーの存在意義

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深夜テンションなので語らせてほしいんですけども。

僕は、教師になることを諦めてから、資格があれば仕事に困らないかなと介護の専門学校を選びまして。奨学金返済期間の5年を過ぎたらやめようと思ってました。

それが今じゃ、自分で訪問介護事業所とか立ち上げちゃって、本気で介護福祉士の仕事をしたり後輩育成をしていたり。

2012年あたりの自分に言ったって絶対信じないようなルートを辿ってるなって思う。

なんでかってそりゃ”末期の膀胱癌の利用者さん”の一件があったからでして。

(どっかに載ってると思うのでよかったら読んでみてください。)

でさ、自分が本気で向き合ってる仕事に対して、世間のイメージが

「介護は誰にでもできる仕事」

「若いのになんで介護なんてやってるの?」

「若いのに偉いわねぇ」

「底辺職」

なのは正直悲しいというより悔しいんですよね。

僕らの仕事って、本当に綺麗事だけじゃどうしようもない場面に何度も何度も向き合うことになるんですよ。

人間不信になったことも何度もある。

病気のせいだとしても、殴られたり噛まれたり暴言吐かれることもあるし。

「お父様が心肺停止で…」と言っても「じゃあ死んだら連絡ください。葬儀屋さん頼まなきゃいけないんで。荷物とかそっちで捨ててもらえます?」って平然と言われたり。

障害を持った人と出かけると、たまに何に向けた目線なんだそれは、って目で見られるし。

なんでこんな思いしてまで介護の仕事してんだろう、って何回も思ったよ。

そんな中で僕は僕なりに介護ヘルパーの存在意義を見つけて、それは何かというと

家族や友人が、家族や友人でいられるためのヘルパー

なんですよね。何言ってるんでしょうね。笑

例えば今、在宅介護をやってるんだけど

在宅介護って95%くらい、家族の存在に依存したサービス提供状況なんですよ。

そもそも24時間365日時間だしてくれない自治体の方が多いし。

だから自然と、親や子供、パートナーや友人が「介護者」になっちゃうの。

その結果、ストレスを溜めたり、疲れ果ててしまったり、本人の意思を代弁するより介護者としての意見、みたいなのを言わなきゃいけなくなってしまうのね。

本当は親に優しくしたい。

本当は奥さんに笑っていてほしい。

本当はいろんなところに行きたい。

ってのをさ「要介護状態であること」に壊されたくないのよ。僕は。

認知症になって、何度も何度も同じこと聞いてくる親に「うるさいな!」「なんでこんなこともできないのよ!」って言っちゃう気持ち、わかるんだよね。切羽詰まってたり出来なくなってく親見るの悲しかったりするもんね。

そこにヘルパーがいたらさ、

代わりに話聞いたり、家族がリフレッシュできる時間作ったりできるじゃん。多少は。

そしたらさ、まだこの人と生きていたいって思えるんじゃないかなーって。

呼吸器つけるかつけないかで迷ったり

本当は家に帰りたいけど家族に負担かけたくなくて施設入居を考えたりしてるときにさ

大丈夫ですよー、僕らいますからねーって言いたいのよ。

そのための介護職なんだと思うから。

寂しい思いしてほしくないのよ。孤独になってほしくないの。

大丈夫ですよ、だから安心してくださいねって言ってくれる人がいればさ、

一人で背負わなくていいじゃん。介護。

僕らの存在意義って、そういうことだと思う。

あー語った。

さて書類やろ。

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