選択肢がいくつもあった方が人生楽しいと思うんだ。

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選択をできる権利があることは、幸せなのだと大人になって知った。

僕は今年の春、何年も望んでいた「男性」という戸籍の表記を手に入れた。

特例法によって定められている要件を乗り越えるのに、初めて診断書を取得した日から8年かかった。

もっと早く、お金を貯めて手術をすれば良かったのだけど、お金もないし(ヲタクだから)何より、手術というものを受け入れられなかった。

本当に男になりたいなら、子宮と卵巣なんていらないはず!だから手術を躊躇するなんて男らしくない!

Twitterで、手術を迷っていると数年前に書いたら、こんなリプが飛んできた。

当時は「本物のFTM」論争みたいなのが盛んに行われていて、いわゆる「普通の」FTMらしさがないやつはみんな虚言のように扱われ、診断書がないやつは「自称」と言わなきゃいけなかったり、治療を進めている人の方が偉い、みたいな雰囲気があった。

だから、手術を躊躇していることを、誰にも相談することができなかった。性自認が男性であることに揺るぎはない。子宮と卵巣だって、ハナクソみたいに簡単に取れるならとってしまいたいとずっと思っていたけれど《手術》というのが、どうしても怖かったのだ。

だけど、今の日本で戸籍の性別を変更するには、手術をするしかない。それ以外に方法はない。

だから、今年の1月、タイで手術を受けた。持病があるから目が覚めるまで本当に怖かった。無事に目が覚めたときには痛みより安心の方が強く、病院の日本語通訳の人と、タイ人のなんかそばにきてくれた方の前で少し泣いてしまった。

「よかったですね、大丈夫ですよ」

その言葉が聞けてよかったといまでも思っている。

選択肢がない人に対して、代案を提示してくれる人は優しいと思う。

同性婚ができない今の日本で、同性同士のカップルを見て「でも今は結婚できなくても、事実婚とかパートナーシップがあるからね。」とか「結婚ていう形に縛られなくていいと思う」と言ってくれる。優しい人。

だけどひねくれている僕は思ってしまうのだ。

「あなたは、結婚を選択できるからいいよね。」って。

確かに、昔よりも事実婚や型にはまらない生き方が肯定されることが多くなってきた。

男女のカップルでもそうした形を選択している人もいる。

ただ、僕は「結婚」がしたい。

事実婚も、パートナーシップもいいと思うけれど、結婚という選択肢を選びたい。

それは、わがままなのだろうか。わからずやなのだろうか。面倒なやつなのだろうか。

まぁなんと思われたっていいんだけど、僕も、僕の周りの結婚を望む同性愛者も

みんなが平等に結婚という選択肢が持てたらいい。その権利があったらいい。そう思う。

同性カップルが結婚できない事実があるのなら、代案を提示するよりも

その事実に異を唱えてほしいし、一緒に声をあげてほしい。本当の優しさはきっとそれだ。

だから僕は声をあげ続けたい。

声をあげたらいいことが、きっとあるはずだから。

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